「入るまでが難しい」文化の弊害

ちょっと辛口なお話です。

最近いろんな人と話してて思うことは、何か成し遂げたい目標は掲げるけど、その後の運営や展望については全く考えていない人があまりに多いということです。

受験でも、就職でも、起業でも、開業でも、結婚でも、それ自体が「ゴール」になっていて、それを達成した後のことなんて考えちゃいない。達成するまでの期間より、達成した後の期間のほうがはるかに長いのに。それが不思議でたまらない。

まぁ日本は「入るまでが難しい」文化だから、それに馴染んでいくうちにスタート=ゴールの認識ができてしまうんでしょうね。

例えばカフェを開きたいと思っている人は多いです。物件・メニュー・内装・スタッフ・事業計画書・融資…いろいろ悩み抜いてやっとお店をだしたときにはもう「やりきった!」と思ってしまう。まわりも「おめでとう!」と祝福する。

その時点では借金背負っただけなんだから、あんまりめでたくはないですよね。よほど資金もしくは卓越した事業計画があれば別ですけど。

いざ営業をはじめてみると、開店前から仕込み作業をはじめ、12時間ほど休みなく働いて閉店後は締め作業。定休日をつくっても当然仕事はあるわけで、プライベートが全くない生活が何ヶ月も続く。

なのに思ったほど売上は上がらず、考えるのは毎月の借金の返済のことばかり。「こんなはずじゃなかった…」と思いながら1年後には店を閉めて借金だけが残る。

世の中の9割はそんなパターンです。

問題は「なぜカフェを開きたいのか」ということよりも、「開いたことでどうなりたいのか」という点です。

ただ雇われて働くのが嫌なだけなら他にいくらでも道はあるし、サラリーマンより自由に働きたいと思ってるなら勘違いも甚だしい。

「おいしいコーヒーをたくさんの人に飲んでほしい」のなら、バリスタでも焙煎士でもコーヒー鑑定士でもコーヒー豆のトレーダーでも、いくらでも選択肢はある。

んで、大概はこういう話をするとムッとして「そんな脅さなくてもいいじゃない」みたいな反応されますが、それを「脅し」として認識するということは、不安材料が多分にある、計画が十分に練れていないということに他ならない。

しっかりと準備ができているのであれば、資金面でも具体的な運営面でも失敗して潰れてしまった後の話でも「〇〇だから大丈夫です!」と、しっかり根拠立ててこちらの心配など論破できるはずだからです。

根拠立てて論破できなくても、覚悟がある人間なら「ダメならダメで腹くくります!」と笑い飛ばすはずです。

まぁ全財産失っても死にはしないですからね。僕も家族がバラバラになって借金背負ってダンボールの家で暮らしながらパンの耳だけ食って生活してた時期もありますが、今はのほほんと生きてるし(笑)

そういう状況になっても立ち直れる自信と覚悟があるのならやればいいと思いますが、経験した身から言うと、そんな生活はしなくていいならしないほうがいいです。言うほど生易しいもんじゃないです。立ち直れる保証なんてありませんし。

カフェに限らず、先に挙げたとおり受験も就職も結婚もなんでも、「なんのためにそれを成し遂げたいのか」が最重要であって、事業計画書の書き方とか、融資の受け方とか、アポの取り方とか、面接のときのお辞儀の角度とか、そんな小手先の話はどうでもいいんですよ(…いや、どうでもよくはないか笑)。

僕はもともと「毎年夏の2ヶ月間富士山て過ごすためにはどうすればいいか」を考え、その結果が自分で会社つくるしかないかという結論だったというだけであって、ちゃんとした給料くれて、ビジネスにおける全決定権を与えられ、6月末〜9月中頃まで休みをくれるのであれば会社員でもよかったわけです(笑

だから、年商10億のビジネスの話をいただいてもそのせいで夏に富士山にいけなくなるのなら1ミリも興味はないですし、家族や友人と過ごしたり、趣味に費やす時間を仕事にまわしてまで収入をあげたいとも思いません。

明確なビジョンがなく、目先の難を切り抜けるためだけのテクニックを追求していても、思い描く理想の生活は何も達成できないと思います。

逆に言えば、明確なビジョンと覚悟さえもっていれば、スキルもコネも金も何もなくても大抵のことは実現できる。

僕はそう思います。

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  1. 【旅の本質=情報の客観視=自己の客観視】